風の谷のナウシカ 漫画版(7)
- 2014/12/17
- 05:19
ナウシカ考察、いよいよ総括です。
なんですが・・・・・・・・・・・・・
どう書こうかヒジョーに迷っています。
で、ちょっと前書きを。
このナウシカ考察の最初に、この記事をかくにあたっての理由として、読後にかなり違和感を覚えた、と書きましたがもう一つ別に理由があります。
作品を読み終えて抱いた違和感がなんなのか、ただ単に私が理解できて無いだけなのかそうでないのか、とりあえずこの物語についての感想が読めるサイトをちょこちょこ見てみました。するともう、どれもが大絶賛、批判的なコメントも見かけはしましたが、内容に対してきちんと批評しているものはほとんどありません。アマゾンのレビューなども、きちんと批判しているものは全レビューの1%もない状態です。アマゾンだから、売れ筋商品に対するあまり批判的なレビューは消されるのかな・・・とも思いました。でもやっぱり違和感は消えない。再度物語をつらつらと読み直しつつ、他の批評も参考にしつつなんとか自分の結論めいたものが出ました。それが「やはりナウシカの採った結論は間違っている」ということでした。
普段、メディア作品に限らず、自分の目に触れる物、使う物等々、良かったり悪かったりが有ります。今回も最初、購入をちょっと失敗したかな、と思った程度だったのですが、他の人のあまりの手放しの絶賛に、これはちょっと・・・となったのです。
思い込みというか、洗脳というとオーバーですがそれに近い感じ。売れてない作品なら別に放っておいてもいいんですが、あのジブリの、あの宮崎駿の作品ですから、影響が大きすぎます。
なので、ちょっと反対意見記事を書いてみようかと思ったのです。普段はこんなしちめんどくさいことはしません「('へ`;
ナウシカの漫画版を全巻読む人というのは、まずほとんどがアニメ版を見てからだと思います。そして視聴者のナウシカに対するイメージはアニメ版で固まります。全ての生き物を愛し、自然を愛し、慈悲深く、自分の命もかえりみず世界のために一身をなげうつ健気な少女。もうここは絶対に揺るぎません。ただでさえあのジブリの、あの宮崎駿の描く物語の主人公ですから、間違うはずがない(^_^;)
読み手はこのイメージのまま、漫画版に入ることとなります。読み進めていくうちに、アニメ版よりも残虐なシーンが多いな、とか物語の世界設定が複雑だな、とかコマがごちゃごちゃしてセリフの字も小さくて読みにくいな(^_^;)、とかの違いには気付きますが、それらはナウシカに対するイメージを変えるものでは有りません。ナウシカも物語が進むにつれて、アニメ版よりも遥かに多くの経験をつんでいきます。読者は、それらの経験が、ナウシカがその後慈愛の女神となるためのスパイスとして、どのように影響していくのだろうと期待しながら読み進めます。
ところが物語の終盤、文明批判と環境保護と友愛がテーマ(だと思わされていた)のストーリーが徐々に変質していきます。よく言われる「神殺し」に近いテーマにです。そして、これまでの記事で見てきたようなセリフの応酬となります。ここで読者の大半が混乱します。テーマが変わって、しかもセリフが論理的に破綻したまま終わりを迎えるのですから、さもありなんです。
読者は混乱しますが、それでもナウシカに対する最初のイメージは崩れません、というより崩したくないですよね。結末を見ればどう考えても人類は滅ぶよなぁ・・・でもあのナウシカ(つまり宮崎駿)が決めた道なのだから、凡人である我々読者にはすぐには理解できない深い理由が有り、きっと結末には間違いはない!として、無理やり自分を納得させます。
非常に論理的・学術的にこの物語を解析しているサイトでも、終盤になると、ナウシカを是とした結末ありきで論説を展開するものが多々みられました。
以上を前書きとして、以下に総括を述べていきます。
ここまで書いてきたように、私の読み解いたところ、ナウシカのとった行動は間違いである、と結論付けました。そして私の違和感は解消され、スッキリ!するはずでした。みんな~ダマされるな~よく考えろよ~、とか、ダメだぜ~宮崎さん~なんて、仏教でいう「慢」の心がムクムクと起こってきたり(^_^;)
でも違和感は解消されませんでした。なぜ?
もう一度よく考えてみました。なぜってやっぱり宮崎駿ですから。もう一度違う視点で。
まず漫画版のいきさつですが、ジブリの鈴木氏が言うには、ナウシカのアニメの企画を立ち上げたが、原作も実績も無い企画に製作会社がウンと言わなかったらしい。そこで、じゃ原作漫画描いちゃえ、となって、2巻まで描いた時点でアニメ化。その際もラストシーンに宮崎駿は全く納得できてなくて、なかばなげやりな感じで高畑・鈴木案でラストを決めたらしい。その後は打ち切りでも文句を言わないことを条件に、書きたい内容で不定期に描き続けることとなり、完成まで足掛け13年かかったようである。
次に宮崎駿の製作スタンスですが、同じテーマやメッセージのストーリーを設定を変えただけでつくることは絶対にしない。結末ありきで話を練らない。文化人として高尚なメッセージを伝えるつもりはない。お金を稼ぐために作品を作るのではなく、作りたいものを作り続けるにはお金が必要だから、アニメでは妥協点が多い。アニメは基本的に、子供が見るために作っている。などなど。ほかにいくらでもあるでしょうが、本を1冊書ける量になるでしょうから、割愛します。
あと、宮崎駿は芸術家でありながら、ものすごく論理的な思考の持ち主です。自身は町工場の親父といっていますが。
以上、本当にザックリですが作品の裏にある条件を、ナウシカの上に照らし合わせて見ます。
漫画版、というか宮崎作品は製作中に結末が見えない。つまりアニメ化以降のストーリーは全くの未定。アニメは多くの人が係り、興行的にも考えなければならないのに比べて、漫画はまったく個人で出来る。しかも3巻以降はなんの制約も無く描ける。自然保護や文明批判、友愛などのテーマは他の作品でやっているから、あえて3巻以降で前面に押し出す必要は無い。論理的思考の持ち主であることを間違いないとしてみる。(愛と平和を説きながら、兵器マニアである矛盾をどうするんだ?と鈴木氏にツッコまれているようだが(^_^;))なので、終盤の論理の破綻?は疑問である。
それと、ユーゴスラビア紛争の勃発が、思想的に非常に大きな影響を与えたようである。ナウシカがまさに終盤に入るときである。
これらの条件を見るに、漫画版は、子供向けに勧善懲悪のハッピーエンドという形式をとらなくても良いことが考えられます。残虐な戦闘シーンなどを見ても、ある程度大人に向けて描かれていることが伺える。で、自身の観念を根底から揺さぶるユーゴ紛争・・・論理的な作者・・・
ここで作中で気になっていた、あるセリフが浮かびます。
主「種としての人間についていっているのだ・・・」
墓所の主が、ナウシカのとんちんかん回答にツッコミをいれるところです。めっちゃ重要なセリフです。
つまり作者は、墓所においてわざとナウシカにとんちんかんな受け答えをさせているのです!
あからさまにツッコミを入れるのはこの一文だけですし、それまでのやりとりで読者も混乱しているので、大抵は見落としているでしょう。この物語を読み解く唯一の隠されたカギみたいなもんです。
ここからはまったくの私見になります(いままでもそうですが(^_^;)
ユーゴ紛争を見て作者は、ぼんやりと見えていたナウシカのエンディングに向けての自身の思想が大きく揺らいだのではないかと。他民族国家の理想形と思っていたらしいので。おそらく最初は墓所を、生命を冒涜する悪者として描くつもりだったと思います。ですが自分が善・悪だととらえていたものがどうにも怪しくなってしまった。
さらに、墓所におけるナウシカの言動は、先入観を取り払ってみてみると、独裁政治家やカルト宗教教祖の色合いも帯びています。自分の信念は正しく、その信念に反する言葉は聞き入れず、排除しようとする。
主張を曲げない両者が対立して争うという、戦争の根源を、それまでのストーリーを無視して組み込んだのです。恐らくジブリにおいてそんな内容を盛り込めるのは当時、そしてそのあともこの作品しか無かったのでしょう。
しかし、それを公にしては読者にも作品そのものにも背信することになります。そこで、一見筋の通ったような、しかしなんだかよく解らない、取りようによっては如何ようにも解釈できるエンディングにしたのではないでしょうか?なにしろ鈴木さんも未だによく解ってないらしいので。たぶん、本当の意図を鈴木さんに説明したら絶対反対されるのがわかっていたからでしょう。そうだとすれば、ナウシカの続編をアニメ化する話を怒りを持って拒絶したのもうなずけます。真意はいまさら言えないし、曲解されたままにせよ真意をくんだにせよアニメ化していい内容じゃないしね(^_^;)
そうしてみると、この物語はかなり深いことがわかります。
一般的には、生命倫理の際で苦悩して進むナウシカ健気!がんばれ!といって絶賛するか、極少数意見として、ナウシカのとった行動で人類滅亡決定、バカで~って批判するかですね。ワタシも最初はそっちでした(^_^;)
ですが、これまでみてきた考察に従うと、最終的な見解は非常に難しくなります。
それまでのストーリーやナウシカのキャラを変貌させて、一本の漫画として途中から変質させてしまったことは間違いないと思います。そのことで作品全体のクオリティは一気に落ちてます。
しかしそうせざるを得なかった作者の心情を思うと一概に批判するのもなぁ・・・ただ、やはりいただけないのは、今回もそうですが、企画物として販売促進をかけているところです。ジブリの経営面から、自分のところのコンテンツを販促にかけるのは当たり前なんですが、この作品に関してもう少し、一般的なとらえかたをしてはダメだよ、ということを匂わせた帯をつけるとか、webでそれとなく流すとかしないと。
販促かけないなら、作者が自己満足で「わかるやつだけ、わかればいい」って思っててくれて結構なんだけど。
おわり
なんですが・・・・・・・・・・・・・
どう書こうかヒジョーに迷っています。
で、ちょっと前書きを。
このナウシカ考察の最初に、この記事をかくにあたっての理由として、読後にかなり違和感を覚えた、と書きましたがもう一つ別に理由があります。
作品を読み終えて抱いた違和感がなんなのか、ただ単に私が理解できて無いだけなのかそうでないのか、とりあえずこの物語についての感想が読めるサイトをちょこちょこ見てみました。するともう、どれもが大絶賛、批判的なコメントも見かけはしましたが、内容に対してきちんと批評しているものはほとんどありません。アマゾンのレビューなども、きちんと批判しているものは全レビューの1%もない状態です。アマゾンだから、売れ筋商品に対するあまり批判的なレビューは消されるのかな・・・とも思いました。でもやっぱり違和感は消えない。再度物語をつらつらと読み直しつつ、他の批評も参考にしつつなんとか自分の結論めいたものが出ました。それが「やはりナウシカの採った結論は間違っている」ということでした。
普段、メディア作品に限らず、自分の目に触れる物、使う物等々、良かったり悪かったりが有ります。今回も最初、購入をちょっと失敗したかな、と思った程度だったのですが、他の人のあまりの手放しの絶賛に、これはちょっと・・・となったのです。
思い込みというか、洗脳というとオーバーですがそれに近い感じ。売れてない作品なら別に放っておいてもいいんですが、あのジブリの、あの宮崎駿の作品ですから、影響が大きすぎます。
なので、ちょっと反対意見記事を書いてみようかと思ったのです。普段はこんなしちめんどくさいことはしません「('へ`;
ナウシカの漫画版を全巻読む人というのは、まずほとんどがアニメ版を見てからだと思います。そして視聴者のナウシカに対するイメージはアニメ版で固まります。全ての生き物を愛し、自然を愛し、慈悲深く、自分の命もかえりみず世界のために一身をなげうつ健気な少女。もうここは絶対に揺るぎません。ただでさえあのジブリの、あの宮崎駿の描く物語の主人公ですから、間違うはずがない(^_^;)
読み手はこのイメージのまま、漫画版に入ることとなります。読み進めていくうちに、アニメ版よりも残虐なシーンが多いな、とか物語の世界設定が複雑だな、とかコマがごちゃごちゃしてセリフの字も小さくて読みにくいな(^_^;)、とかの違いには気付きますが、それらはナウシカに対するイメージを変えるものでは有りません。ナウシカも物語が進むにつれて、アニメ版よりも遥かに多くの経験をつんでいきます。読者は、それらの経験が、ナウシカがその後慈愛の女神となるためのスパイスとして、どのように影響していくのだろうと期待しながら読み進めます。
ところが物語の終盤、文明批判と環境保護と友愛がテーマ(だと思わされていた)のストーリーが徐々に変質していきます。よく言われる「神殺し」に近いテーマにです。そして、これまでの記事で見てきたようなセリフの応酬となります。ここで読者の大半が混乱します。テーマが変わって、しかもセリフが論理的に破綻したまま終わりを迎えるのですから、さもありなんです。
読者は混乱しますが、それでもナウシカに対する最初のイメージは崩れません、というより崩したくないですよね。結末を見ればどう考えても人類は滅ぶよなぁ・・・でもあのナウシカ(つまり宮崎駿)が決めた道なのだから、凡人である我々読者にはすぐには理解できない深い理由が有り、きっと結末には間違いはない!として、無理やり自分を納得させます。
非常に論理的・学術的にこの物語を解析しているサイトでも、終盤になると、ナウシカを是とした結末ありきで論説を展開するものが多々みられました。
以上を前書きとして、以下に総括を述べていきます。
ここまで書いてきたように、私の読み解いたところ、ナウシカのとった行動は間違いである、と結論付けました。そして私の違和感は解消され、スッキリ!するはずでした。みんな~ダマされるな~よく考えろよ~、とか、ダメだぜ~宮崎さん~なんて、仏教でいう「慢」の心がムクムクと起こってきたり(^_^;)
でも違和感は解消されませんでした。なぜ?
もう一度よく考えてみました。なぜってやっぱり宮崎駿ですから。もう一度違う視点で。
まず漫画版のいきさつですが、ジブリの鈴木氏が言うには、ナウシカのアニメの企画を立ち上げたが、原作も実績も無い企画に製作会社がウンと言わなかったらしい。そこで、じゃ原作漫画描いちゃえ、となって、2巻まで描いた時点でアニメ化。その際もラストシーンに宮崎駿は全く納得できてなくて、なかばなげやりな感じで高畑・鈴木案でラストを決めたらしい。その後は打ち切りでも文句を言わないことを条件に、書きたい内容で不定期に描き続けることとなり、完成まで足掛け13年かかったようである。
次に宮崎駿の製作スタンスですが、同じテーマやメッセージのストーリーを設定を変えただけでつくることは絶対にしない。結末ありきで話を練らない。文化人として高尚なメッセージを伝えるつもりはない。お金を稼ぐために作品を作るのではなく、作りたいものを作り続けるにはお金が必要だから、アニメでは妥協点が多い。アニメは基本的に、子供が見るために作っている。などなど。ほかにいくらでもあるでしょうが、本を1冊書ける量になるでしょうから、割愛します。
あと、宮崎駿は芸術家でありながら、ものすごく論理的な思考の持ち主です。自身は町工場の親父といっていますが。
以上、本当にザックリですが作品の裏にある条件を、ナウシカの上に照らし合わせて見ます。
漫画版、というか宮崎作品は製作中に結末が見えない。つまりアニメ化以降のストーリーは全くの未定。アニメは多くの人が係り、興行的にも考えなければならないのに比べて、漫画はまったく個人で出来る。しかも3巻以降はなんの制約も無く描ける。自然保護や文明批判、友愛などのテーマは他の作品でやっているから、あえて3巻以降で前面に押し出す必要は無い。論理的思考の持ち主であることを間違いないとしてみる。(愛と平和を説きながら、兵器マニアである矛盾をどうするんだ?と鈴木氏にツッコまれているようだが(^_^;))なので、終盤の論理の破綻?は疑問である。
それと、ユーゴスラビア紛争の勃発が、思想的に非常に大きな影響を与えたようである。ナウシカがまさに終盤に入るときである。
これらの条件を見るに、漫画版は、子供向けに勧善懲悪のハッピーエンドという形式をとらなくても良いことが考えられます。残虐な戦闘シーンなどを見ても、ある程度大人に向けて描かれていることが伺える。で、自身の観念を根底から揺さぶるユーゴ紛争・・・論理的な作者・・・
ここで作中で気になっていた、あるセリフが浮かびます。
主「種としての人間についていっているのだ・・・」
墓所の主が、ナウシカのとんちんかん回答にツッコミをいれるところです。めっちゃ重要なセリフです。
つまり作者は、墓所においてわざとナウシカにとんちんかんな受け答えをさせているのです!
あからさまにツッコミを入れるのはこの一文だけですし、それまでのやりとりで読者も混乱しているので、大抵は見落としているでしょう。この物語を読み解く唯一の隠されたカギみたいなもんです。
ここからはまったくの私見になります(いままでもそうですが(^_^;)
ユーゴ紛争を見て作者は、ぼんやりと見えていたナウシカのエンディングに向けての自身の思想が大きく揺らいだのではないかと。他民族国家の理想形と思っていたらしいので。おそらく最初は墓所を、生命を冒涜する悪者として描くつもりだったと思います。ですが自分が善・悪だととらえていたものがどうにも怪しくなってしまった。
さらに、墓所におけるナウシカの言動は、先入観を取り払ってみてみると、独裁政治家やカルト宗教教祖の色合いも帯びています。自分の信念は正しく、その信念に反する言葉は聞き入れず、排除しようとする。
主張を曲げない両者が対立して争うという、戦争の根源を、それまでのストーリーを無視して組み込んだのです。恐らくジブリにおいてそんな内容を盛り込めるのは当時、そしてそのあともこの作品しか無かったのでしょう。
しかし、それを公にしては読者にも作品そのものにも背信することになります。そこで、一見筋の通ったような、しかしなんだかよく解らない、取りようによっては如何ようにも解釈できるエンディングにしたのではないでしょうか?なにしろ鈴木さんも未だによく解ってないらしいので。たぶん、本当の意図を鈴木さんに説明したら絶対反対されるのがわかっていたからでしょう。そうだとすれば、ナウシカの続編をアニメ化する話を怒りを持って拒絶したのもうなずけます。真意はいまさら言えないし、曲解されたままにせよ真意をくんだにせよアニメ化していい内容じゃないしね(^_^;)
そうしてみると、この物語はかなり深いことがわかります。
一般的には、生命倫理の際で苦悩して進むナウシカ健気!がんばれ!といって絶賛するか、極少数意見として、ナウシカのとった行動で人類滅亡決定、バカで~って批判するかですね。ワタシも最初はそっちでした(^_^;)
ですが、これまでみてきた考察に従うと、最終的な見解は非常に難しくなります。
それまでのストーリーやナウシカのキャラを変貌させて、一本の漫画として途中から変質させてしまったことは間違いないと思います。そのことで作品全体のクオリティは一気に落ちてます。
しかしそうせざるを得なかった作者の心情を思うと一概に批判するのもなぁ・・・ただ、やはりいただけないのは、今回もそうですが、企画物として販売促進をかけているところです。ジブリの経営面から、自分のところのコンテンツを販促にかけるのは当たり前なんですが、この作品に関してもう少し、一般的なとらえかたをしてはダメだよ、ということを匂わせた帯をつけるとか、webでそれとなく流すとかしないと。
販促かけないなら、作者が自己満足で「わかるやつだけ、わかればいい」って思っててくれて結構なんだけど。
おわり
スポンサーサイト